草津町と中之条町の日記

群馬県中之条町より発信

1月22日 母ジュリア帰天

今から110年前の1907年1月22日、コンウォール・リー女史の母ジュリアは帰天しました。

享年80歳でした。

 

葬儀はハンブル・ル・ライス村の聖アンデレ教会で執り行われ、同教会の墓地に埋葬されました。

このとき既に、父エドモンドも兄ネヴィルも他界していたのでリー女史は喪主を務めました。

リー女史はおそらく聖堂の会衆席最前列に座って聖所をみながら、また、そこにおかれたジュリアの棺を見つめ何を思ったのでしょう?

 

リー女史は母の墓石を建てました。

台座には

“我は主の憐みと深い慈しみを永遠に信ずる”

と刻まれています。

 

リー女史は少女のころウィルキンソン牧師によって播かれた外国伝道の思いを育んでおり、それを実践するため、母の亡くなった年の九月には英国を旅立ちました。

そして、11月半ばに横浜に到着しました。

 

中村茂著『草津「喜びの谷」の物語』の206ページには、

 “母ジュリアが亡くなって為すべきことをし終えたコンウォール・リーは、1907年にリバーサイド・コテージを去った。そして、50歳の彼女の姿は日本に向かう船上にあった。若き日にジョージ・ハワードウィルキンソンによって播かれ育んできた宣教師としての働きを始めるためであった。”

と記載されています。

 

そして、この9年後に草津での聖バルナバ・ミッションの働きを開始することになるのです。

 

なお、母ジュリアの出生はカナダのニューブランズウィック州控訴院判事ネヴィル・パーカーの次女として1826年2月8日に誕生しました。

また、結婚のいきさつは、父エドモンドは第九七歩兵連隊の士官であったが、1850年から1853年にかけて英領カナダの東部に駐留しました。

このときジュリアと知り合い、1852年7月20日に結婚したのです。

翌年5月、連隊はイングランドに戻りました。

 

参考文献:『草津「喜びの谷」の物語』中村茂著

 

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