草津町と中之条町の日記

群馬県中之条町より発信

今日はリー女史の命日

今日はコンウォール・リー女史の命日です。
1936年1月、高齢のため兵庫県明石にて静養しておりましたが1941年の今日、84年の生涯を閉じました。

最後は聖歌「主よ御許に近づかん」を仕女らと共に口ずさみながら帰天されました。

安らかな寝顔であったそうです。
リー女史の遺骨は草津バルナバ教会の納骨堂に600名以上の信者と共に眠っております。

 

◆「リーかあさま」とは
 古くから万病に効くと言われる草津温泉には、多くの人がこの地を訪れ湯治のために滞在または永住いたしました。
明治の年代になり、ハンセン病を患う人々が草津の中で増えてきて、明治20年には草津の湯之沢という所にハンセン病の人々の集落が誕生しました。
集落では、病気が治らず財産を使い果たし自暴自棄になる人や自殺に追い込まれる人も多数いました。
 大正時代に入り、英国人宣教師であるコンウォール・リー女史によって開設された聖バルナバミッションの働きが、多くの病者の光となりました。
リー女史は私財をはたき、またイギリスやアメリカの教会からの寄付を受けながら、生活の場としてのホーム、幼稚園や小学校の教育機関、医療機関としての病院などの事業を広げていきました。
それは初めから壮大な計画があったのではなく、事業の中心である草津バルナバ教会の働きの中から必要に応じて設置していきました。
最初の課題は独身女性、次に子どもたちの救済でした。
一人の女性を救うために旅館の一室を借り受けることから始めた「愛の家庭」は女子ホーム「聖マリア館」の先駆けとなりました。
また、米国のミセス・ホー姉による寄付で健康者児童ホーム「聖マーガレット館」が設立されました。
 事業は大きくなろうとも、女史は病者一人ひとりに手厚く訪問看護し、どのような人も大切にされました。
病気で亡くなった人にも自ら湯灌を施し教会で葬儀を行い最後まで患者さんを人として大切にされました。
 人々はコンウォール・リー女史のことを「かあさま」と呼び心から親しみました。
(りーかあさま記念館説明文より)

 

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