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草津町と中之条町の日記

群馬県中之条町より発信

顕現後第6主日ハンセン病問題啓発の日

ハンセン病 キリスト教 栗生楽泉園 草津聖バルナバ教会 聖慰主教会

日顕現後第6主日は、「ハンセン病問題啓発の日」をおぼえて祈りを奉げる日です。

 

ハンセン病問題への理解が深まるための祈り

慈しみ深い神よ、み子イエス・キリストは病気のために差別された人々を深く憐れみ、み手を差し伸べて癒されました。キリストに倣って生きる者とされたわたしたちは、一人ひとりが大切にされて生きる社会を築こうと願い求めます。ことにハンセン病を患ったために社会から見捨てられ、苦渋の人生を生きなければならなかった人々の苦しみを思います。これまでに、この苦しみに関心を寄せず、また差別する社会を改める働きをしてこなかったことを思い、懺悔いたします。どうか、すべての人々が、この病気の事実、また回復者の現実など、ハンセン病をめぐる問題を理解することによって、み心にかなう社会を建設することができますように、多くの苦しみの中にある人々の友となり歩まれたみ子、わたしたちの主イエス・キリストによってお願いいたします。

アーメン

 

2004年第55(定期)総会で「ハンセン病問題啓発の日を設け、ハンセン病問題への理解が深まるために祈る件」が可決され、2005年から顕現後第6主日(顕現後第6主日がない年は顕現後の最後の主日)に定められた祈りをささげ、また、ハンセン病問題に理解を深めることを重ねて参りました。2017年は2月12日がその主日にあたります。

日本聖公会管区事務所 最近の記事」より

日本聖公会管区事務所/総会の決議による主日 ハンセン病問題啓発の日

 

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リー女史の母ジュリアの誕生日

リーかあさま 聖バルナバミッション 草津聖バルナバ教会 聖慰主教会 草津温泉

2月8日は

  コンウォール・リー女史の母ジュリアの誕生日

です。


カナダのニューブランズウィック州控訴院判事ネヴィル・パーカーの次女として
1826年2月8日に誕生しました。


生きていれば191才。

 

な、な、なんと、わが教会の牧師の誕生日でもあります。


いくつちがうのかな?

 

(写真はコンウォール・リー女史です。)

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湯之澤を体験した人

リーかあさま ハンセン病 聖バルナバミッション 栗生楽泉園

昨日の石浦さんの話によると、今現在、

湯之澤を自分の目で見て体験した人は7人だそうです。

 

湯之澤解散式が1941年5月18日なので、7人はほとんど小さな子どもだった。

 

知っている人が少なくなったので、いろいろ聞いておかないといけないと感じる。

浅間山と雪の聖マーガレット館

リーかあさま 聖バルナバミッション ハンセン病 栗生楽泉園 草津聖バルナバ教会 聖慰主教会

浅間山と雪の聖マーガレット館

写真撮影後、雪となりました!

春はまだ先のようです。

 

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雪の草津楽泉園と浅間山

栗生楽泉園 ハンセン病 リーかあさま

 

昨日の栗生楽泉園と浅間山です。

春間近!

 

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1月22日 母ジュリア帰天

リーかあさま 聖バルナバミッション キリスト教 草津聖バルナバ教会 聖慰主教会 ハンセン病

今から110年前の1907年1月22日、コンウォール・リー女史の母ジュリアは帰天しました。

享年80歳でした。

 

葬儀はハンブル・ル・ライス村の聖アンデレ教会で執り行われ、同教会の墓地に埋葬されました。

このとき既に、父エドモンドも兄ネヴィルも他界していたのでリー女史は喪主を務めました。

リー女史はおそらく聖堂の会衆席最前列に座って聖所をみながら、また、そこにおかれたジュリアの棺を見つめ何を思ったのでしょう?

 

リー女史は母の墓石を建てました。

台座には

“我は主の憐みと深い慈しみを永遠に信ずる”

と刻まれています。

 

リー女史は少女のころウィルキンソン牧師によって播かれた外国伝道の思いを育んでおり、それを実践するため、母の亡くなった年の九月には英国を旅立ちました。

そして、11月半ばに横浜に到着しました。

 

中村茂著『草津「喜びの谷」の物語』の206ページには、

 “母ジュリアが亡くなって為すべきことをし終えたコンウォール・リーは、1907年にリバーサイド・コテージを去った。そして、50歳の彼女の姿は日本に向かう船上にあった。若き日にジョージ・ハワードウィルキンソンによって播かれ育んできた宣教師としての働きを始めるためであった。”

と記載されています。

 

そして、この9年後に草津での聖バルナバ・ミッションの働きを開始することになるのです。

 

なお、母ジュリアの出生はカナダのニューブランズウィック州控訴院判事ネヴィル・パーカーの次女として1826年2月8日に誕生しました。

また、結婚のいきさつは、父エドモンドは第九七歩兵連隊の士官であったが、1850年から1853年にかけて英領カナダの東部に駐留しました。

このときジュリアと知り合い、1852年7月20日に結婚したのです。

翌年5月、連隊はイングランドに戻りました。

 

参考文献:『草津「喜びの谷」の物語』中村茂著

 

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81年前の1月8日

リーかあさま 聖バルナバミッション 草津聖バルナバ教会 キリスト教

1935年4月にコンウォール・リー女史は4回目の静養を終え英国より帰国した。

しかし、リー女史の体調は優れず、しかも、草津の冬は年老いた女史には厳しすぎた。

そのころ、南関東教区時代に共に働いた友人のシメオン宣教師より、温暖な兵庫県明石で静養する旨の誘いを受ける。

当初リー女史は受け入れようとしなかったが、教会員たちの説得があり涙ながらに受け入れた。

リー女史は1935年のクリスマスが近づいたころ、教会の信徒たちにメッセージを送っている。

 

1936年1月8日午前、ついに湯之澤を離れ友人の宣教師シメオンと共に暮らすために兵庫県明石に向かった。

信徒たちは涙にまみれながら手を振り別れを惜しんだ。

このときが、湯之澤の人々との今生の別れになったのである。

 

なお、リー女史が去った日の午後三時ころ聖マーガレット館(非感染児童のための施設)が原因不明の出火で焼失した。

しかし、同年秋には焼失前とほぼ同じかたちで復元、再建する奇跡が起きたのである。

 

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迎春

栗生楽泉園 聖バルナバミッション 聖慰主教会 キリスト教 草津聖バルナバ教会 草津温泉

A Happy New Year !

 

今日の草津は快晴で浅間山草津白根山も鮮明に見えました。

 

昨年は草津バルナバミッション100周年でしたが、今日から新たな100周年の一歩です。

 

皆様も良い年でありますようにお祈りいたします。

 

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聖慰主教会 クリスマス愛餐会&誕生日会

キリスト教 栗生楽泉園 聖慰主教会

25日はクリスマス、草津聖慰主教会でも降誕日礼拝がおこなわれました。

 

教会創立100周年のクリスマス礼拝とあって思い出に残るものとなりました。

たくさんの兄弟姉妹とともに礼拝を守り、主の聖餐にあずかることが出来感謝です。

 

礼拝後はクリスマス祝賀会兼誕生日会を開催しました。

今月誕生日のY兄はなんと90歳!

ひたむきな信仰に日頃から自分も見習わなくてはと感じております。

あと最低10年、最低100歳までは礼拝に集って欲しいと思います。

 

写真はクリスマス祝賀会兼誕生日会の料理!

この日は快晴で浅間山がはっきり見えました。

 

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今日はリー女史の命日

リーかあさま 聖バルナバミッション キリスト教 ハンセン病 草津聖バルナバ教会

今日はコンウォール・リー女史の命日です。
1936年1月、高齢のため兵庫県明石にて静養しておりましたが1941年の今日、84年の生涯を閉じました。

最後は聖歌「主よ御許に近づかん」を仕女らと共に口ずさみながら帰天されました。

安らかな寝顔であったそうです。
リー女史の遺骨は草津バルナバ教会の納骨堂に600名以上の信者と共に眠っております。

 

◆「リーかあさま」とは
 古くから万病に効くと言われる草津温泉には、多くの人がこの地を訪れ湯治のために滞在または永住いたしました。
明治の年代になり、ハンセン病を患う人々が草津の中で増えてきて、明治20年には草津の湯之沢という所にハンセン病の人々の集落が誕生しました。
集落では、病気が治らず財産を使い果たし自暴自棄になる人や自殺に追い込まれる人も多数いました。
 大正時代に入り、英国人宣教師であるコンウォール・リー女史によって開設された聖バルナバミッションの働きが、多くの病者の光となりました。
リー女史は私財をはたき、またイギリスやアメリカの教会からの寄付を受けながら、生活の場としてのホーム、幼稚園や小学校の教育機関、医療機関としての病院などの事業を広げていきました。
それは初めから壮大な計画があったのではなく、事業の中心である草津バルナバ教会の働きの中から必要に応じて設置していきました。
最初の課題は独身女性、次に子どもたちの救済でした。
一人の女性を救うために旅館の一室を借り受けることから始めた「愛の家庭」は女子ホーム「聖マリア館」の先駆けとなりました。
また、米国のミセス・ホー姉による寄付で健康者児童ホーム「聖マーガレット館」が設立されました。
 事業は大きくなろうとも、女史は病者一人ひとりに手厚く訪問看護し、どのような人も大切にされました。
病気で亡くなった人にも自ら湯灌を施し教会で葬儀を行い最後まで患者さんを人として大切にされました。
 人々はコンウォール・リー女史のことを「かあさま」と呼び心から親しみました。
(りーかあさま記念館説明文より)

 

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